母親の葬儀を終えて
母親が亡くなりました。現在葬儀もろもろを終えて今に至ります。
実は自分、ここ数日寝ようとすると、この1年の状況だったり、最近の事柄が大量に思い出されて寝られないのです。
たぶん短時間でインプットされる情報があまりにも多すぎたんだと思います。
よって、記憶からはできるだけ消して、記録に残すことにしました。
あとは、今回葬儀を行う際、25年前の父親の葬儀の時「何をやったか」を全く思い出すことができなかったのです。
よい思い出は残すにしても、もろもろ浮かんでくる事柄は記憶が新しいうちにここに記載します。
一昨年の12月~昨年1月ごろ下血の症状が出ていて町医者に通っていましたが、当時は痔だという診断でした。
が、きちんと診てほしいという母親の希望があり大腸内視鏡検査をしたところ、内視鏡が入らないほどの腫瘍が発見され
ちょうど1年前の2024年2月20日前後にステージ4の大腸がんであることがわかりました。
4月に群馬がんセンターにてダヴィンチ・システムによる手術。
原発巣を除去していてその後経過観察をしていましたが、肝臓と肺に転移していることが秋頃に判明。
12月中旬から緩和(投薬)に移行しましたが、12月27日に激痛に耐えられなくなり再入院と緊急手術。
腫瘍が尿管を塞いでしまいステント挿管を行いましたが、医者からは緩和ケア病棟を勧められ、2025年1月21日に病棟を移動。
緩和ケア病棟は本当にゆったりとした時間が流れていましたが最後は痛み(完全になくなるわけではない)や吐き気を伴い、2月20日午前中までは話ができる状況であったものの21:00時頃から脈拍が急激に下がり始め、0:20頃に息を引き取ったそうです。
自分は22:00頃兄から脈拍が下がっている連絡を受けた後、高崎線で熊谷まで行き、熊谷から太田までタクシー(8000円くらいかかった)で病院まで行きました。息を引き取ったのは0:20でしたが、それは兄からの連絡で知った感じです。その時自分は吹上駅でした。
1:00ジャストくらいにがんセンターに到着するとストレッチャーに乗った母親がいて、まだ体が温かい状況でした。眉間に皺が寄っていたので苦しかったんだと思います。最後はいびきのような浅い呼吸があり、目を開いた瞬間涙が2粒こぼれて、亡くなったと聞いています。
「体を拭いたりするので」ということで家族室という別室に移動し説明を受ける。葬儀屋さんが決まっているようでしたら3:00頃電話してくださいと聞いた気がしましたが、どうやら3:00頃に葬儀屋さんに来てくれるように電話してくださいという事だったらしく、つまり3:00までに病室を片付けてください。という事でした。急いで着替えやらおむつやら食品やらを片付けていたところに1:45頃医師が到着。つまり死亡確認は医師しかできないため医師の到着を待つことになるのです。よって正式な死亡時間は1:50でした。
2:45頃葬儀屋さん到着。3:15頃群馬がんセンターから移動開始し、自分は遺体の横に乗って実家に移動しました。
実家についたのは4:00頃だったと思いますが、まだ温かかったです。布団をしいたりもろもろ準備をしている間に顔を見ていたんですが実家についてからみるみるうちに皺が取れていくんですよね。ずっと家に帰りたいと言っていたからそういう事なんではないかなと思います。
葬儀屋さんから色々説明を受けたのですが、まず「葬儀の日取りが決まるまでは絶対に親戚に連絡しないこと」ということでした。親戚が来ると時間がまったく取れなくなるからです。5:50にドライアイスを入れてもらい、このあと9:00に打ち合わせで葬儀屋が来るのでそれまで少しお休みください。
ということで6:00から7:00頃まで仮眠しようと思いましたが寒くて寝られない。
結局9:00から葬儀屋と打ち合わせ。以下はタイムラインを事務的に書いていきます。
2/21
7:00 上司と電話連絡(このあとの手続きなど)
9:00~11:50 葬儀屋と打ち合わせ
12:30頃 会社に死亡届提出
13:00までメシ(弁当)
13:00~14:30 葬儀屋と打ち合わせ
15:00~寺(坊さん)と打ち合わせ
17:00~17:45 葬儀屋と打ち合わせ(これで日程すべて決まる)
17:45~18:30 親戚に電話開始
18:30 最も近所の親戚2名が来る
19:00 最も近所の親戚2名が帰る
19:30 籠原駅から高崎線(車を取りに帰る)
21:00 川越駅到着
22:30 寝る
ということでまる2日間寝ずに打ち合わせでした。翌朝9:30にまた葬儀屋が来るそうです。
親戚2名が来ただけでてんやわんやだったので明らかに翌日はパンクすると思い
翌日はウチの奥さんにも手伝ってもらう。
2/22
9:00 実家到着(すでに親戚来ていた)
9:25 葬儀屋来るが、親戚のうち1名足が悪いから迎えに来てくれということでダブルブッキング
9:40 親類から「タクシーで行くからいいよ」という連絡あり
ここから12:30までひっきりなしに親戚が来る(母方8人兄弟、父方5人兄弟だから仕方ない)
花輪記録する帳面が無いんかい!で親戚と一悶着ある。
喪中は仏壇に造花は置かないもんやで!で親戚と一悶着ある。
食事をとって休憩
13:00~15:00 葬儀屋と打ち合わせ(写真やらご会葬御礼やら食事やら)
17:00~18:00 葬儀屋と打ち合わせ最終的な価格決定と段取り確認
18:00~19:00 川越まで移動 通夜はホテルを取るなどして移動を楽にする。
あとは予定通り流れていきました。
2/23
奥さんと娘連れて10:30に川越を出る
12:30 サイゼリヤで飯
14:00 実家着
15:00 家を出て葬儀場で入棺
最も近くの親戚がウチの庭に現れる(葬儀屋さんバンで来ていたんですがこの車で行くんかい!)
納棺師の所作になぜか次女がめちゃくちゃ感銘を受ける
18:00 通夜開始
20:30頃 通夜終了 ホテルに移動
2/24
10:00 ホテルを出る
10:40 葬儀場到着
11:00 親戚が来る
12:00 告別式開始
14:00 火葬場に移動
15:00 火葬(その間食事)
手術でチタン製の人工骨があったんだがそれもそのまま入れている
16:00 火葬終了し自宅に移動
もろもろセット完了し、18:00頃解散
まあ何が一番大変かって親戚とのやりとりですね。どことどこの家が関係悪いとかまずどっちに先に話をするかとか、全く連絡取れないんだが大丈夫だろうか。とか。縁を切った親戚などもありなかなか難しい状況でした。
はっきり言って悲しんでいる時間はありませんでした。
出棺と火葬の際には泣くかなと思いましたが、今は火葬場も心理的ケアが進んでおり、エレベーターで上がるように火葬されて戻ってきた感じでした。すべての流れが3連休のうちに終わっておりなんだか「きちんと働きなさい」と母親が言っているような気がします。
さて、この流れがずっと頭に浮かんできていたのですが、ここに書くことで少しづつ忘れて行こうと思います。
まだいろいろありますが少しづつ片付けていきます。
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